有名作家はお金持ち?

 

芥川、太宰など教科書にもよく載っている有名作家たち、「みな羽振りがよくていい暮らしをしていたのでは?」と思いがちですが、意外とお金に苦労していたのです。

本日は文豪とお金のエピソードを調べてみました。

芥川龍之介

芥川賞にその名を冠する芥川龍之介。東京帝国大学英文科を卒業後、英語教師をしながら専業作家を目指していました。

楽な暮らしではなかったようで、妻となる文子へのプロポーズの手紙にこんなことを書いています。

「僕のやってゐる商売は 今の日本で 一番金にならない商売です。その上 僕自身も 碌に金はありません。ですから 生活の程度から云へば 何時までたっても知れたものです。」※1

のちに人気作家となりますが、自分の家族のみならず兄弟や実家の家族も養わなければならず、生活のために執筆を続けていました。

晩年は、放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられた義兄が自殺をし、金銭的にも精神的にもたいへんな苦労をしています。

【※1 出典:芥川龍之介 書簡 『大正五年八月廿五日朝 一の宮町海岸一宮館にて』】

1892-1927
代表作 『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』『河童』

夏目漱石

芥川の師でもある夏目漱石。日本を代表する文豪のひとりです。帝国大学英文科を卒業後、英語教師、ロンドン留学、大学教授を経て作家になり、『吾輩は猫である』が大ヒットします。

作家として名声を博し、芥川をはじめ多数の門下生がいた漱石ですが、養父にお金をせびられ続け、その工面に苦労していました。自伝とされる『道草』に当時の様子が描かれています。

また、生涯借家住まいをしていました。

1867-1916
代表作 『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』『明暗』

太宰治

芥川に憧れ作家になった太宰治。芥川賞がほしいあまり、選考委員だった川端康成らに懇願の手紙を出すのですが、受賞はなりませんでした。

太宰の生家は青森県有数の大地主でしたが、11人兄弟の六男として生まれたことに生涯コンプレックスを抱いていました。東京帝国大学在学中に結婚、二度の留年ののち授業料未納のため除籍就職試験に失敗生活費は青森の実家に頼っていました

『走れメロス』は、借金を返すために走り回っていたことがきっかけとなり生まれた作品とも言われています。

1909-1948
代表作 『走れメロス』『津軽』『斜陽』『人間失格』

川端康成

日本人初のノーベル文学賞作家である川端康成。上記の芥川賞懇願の手紙を突っぱね、私生活を批判し、太宰を大激怒させています。

お金に関しては独特の考えを持っており、ある時に払いない時は払わないというポリシーだったようです。

半年分の家賃を踏み倒し立ち退き料までもらったというエピソードが残っています。滞在先の旅館の宿泊代もよく踏み倒していたようです。

また、買い物が大好きで、多額の借金をして美術品を買い集めていました。

1899-1972
代表作 『伊豆の踊子』『雪国』『眠れる美女』『古都』

志賀直哉

お金の工面に腐心する作家が多いなか、その心配がなかったのが志賀直哉です。父は鉄道会社や生命保険会社の重役で、財界の重鎮でした。初等科から高等科まで学習院、その後、東京帝国大学に入学しています。

創作に行きづまった芥川が志賀に相談するのですが、その時のアドバイスがこちらです。

「冬眠してゐるやうな気持で一年でも二年でも書かずにゐたらどうです」※2

対して芥川は、「さういふ結構な御身分ではないから」※2 と言っています。二人の境遇の違いがわかるエピソードですね。

【※2 出典:志賀直哉 『沓掛にて ~芥川君のこと~』】

1883-1971
代表作 『城の崎にて』『和解』『小僧の神様』『暗夜行路』

現代とはだいぶ時代背景が異なりますが、文豪たちの知られざる一面が垣間見られ、彼らとの距離が少し縮まったような気がしますね。学校で習って名前は知っているけど読んだことがないという作家は多いもの。この夏、作品に触れてみてはいかがでしょうか。

みやこ、この中では芥川龍之介がいちばん好きです。写真もカッコイイですね。『地獄変』を読みたくなりました。

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